ほんたうの喪中と忌中

まず、一般的な解釈での喪中と忌中の違いを整理します。

近親者が亡くなったとき、一定期間、身を慎むことを「忌服(きぶく)」と言います。

死のけがれの重い期間を「忌」、
けがれが薄くなった期間が「喪」とされています。

つまり、喪中と忌中というのは期間のことを指します。

「服」というのは軽々しくはしゃいだりしないで神妙に静かに過ごすことを指します。
刑を受けた人が刑務所に入ることを「服役」といいますが、そのような慎むことをしている期間のことです。

この重い「服」の時を、忌服といいその期間を「忌中」といいます。

悲しみがだんだん薄らいできた時の、でもまだ服をしていた方がよいであろう自主規制の期間を「喪中」といいます。

もう一度整理しますと

「喪中」は親しい人が亡くなってからの一年間。
「忌中」は親しい人が亡くなってからの50日間以内。

のことであり、「忌中」に神社の鳥居をくぐってはならないというのは、その関係値によっても期間が異なるものなのです。

ですから、
喪中なので一年間は神社の鳥居をくぐってはならないというのは、そもそも正確な理解ではありません。

神社の鳥居をくぐってはならないのは、「喪中」ではなくて「忌中」のことであり、亡くなった方との関係値によって、その期間は異なる、ということです。

 

神社本庁ですら、そのような指導はしていませんから、
喪中の一年間は神社に参拝できないというのはまちがった理解なのです。

あえて正確にいうならば
喪中の一年間は、神社に参拝をしてはならない、という禁止事項ではなくて
神社に行って自分の願望だけを軽々しく願うようなことは慎みなさい
という戒めなのです。

では、「忌中」の慎む間柄はどのような区分になっているでしょうか。
以下のように違います。

一親等 自分の父・母、自分の子供、50日間

二親等 自分の兄弟、父方の祖父母、母方の祖父母、25日間


三親等 自分の父母方の曽祖父母、伯父伯母、叔父叔母、孫、15日間

こうして図示してみると、関係がだんだん遠くなっていく様子がわかりやすいですよね。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

さて。ここまでが、一般的な解釈です。

神社本庁が出している発令では、「忌中」は50日間は鳥居をくぐってはならない。
どうしてもくぐる必要がある場合は鳥居の外でお祓いを受けることとされています。

一方、お寺側は「忌中」を四十九日(しじゅうくにち)と呼び、
49日間は積極的にお寺、
お墓に積極的に顔を出しなさいと勧めています。

これはよくよく考えると奇異なことである、と私天地彌榮塾塾長は考えます。
なぜこのようになったかというと、大元の意味があるのです。

これらのことが示されたのは今から1000年以上も前の時代のことでした。

当時は、伝染病が流行し宮中の人も一般の人も、病氣が移って死に至りました。
そのために、神社は最も高貴な場所であったため、神社の中には汚れたもの(屍体)を運び込んだり死んだ人に接した人を立ち入らせないようにしたのです。
しかし屍体を葬る必要があったので、それを引き受ける屍体処理業がお寺だったわけです。

立場でいうと、神社は高貴な職業、
嫌なことを扱う下請けのような職業がお寺だったわけです。

ところが鎌倉時代あたりから立場が逆転していきます。
屍体を引き取っていただくには多額のお金が必要となることから、お寺の方が儲かりだしたためです。

本来、霊魂を扱うのが神社の仕事であり、お寺の仕事でもあります。
その意味においては、神社でも先祖を供養することができるし、死者も実は扱うことがあります。

では、仏教と神道が合体した密教神社はどうなってしまうのでしょうか?
かたや神社は「忌中」の50日間は死には触らないようにする。かたやお寺では「忌中」の49日間を手厚く扱う。
矛盾したことが融合した神社が密教神社です。

したがって、密教神社では忌中の期間であっても神社の鳥居をくぐることはなんら問題がないばかりでなく、積極的にくぐってお祓いしてもらうと善いとされています。

結論からいうと、
天地彌榮塾塾長の郷右近は

「忌中」であっても、
「喪中」であっても、
心構えをしっかりもてば
神社の鳥居をくぐっても善いと判断します。

むしろ、
大切な人が亡くなったのであれば
心からの冥福を祈り
魂が安らかであることを願うのが
よろしいと考えます。

また、この時の心構えとして必要なことは
自分の願いを叶えてもらうことを
目的として

神社を参拝するのではなく
自分の個人的な願いを抑え
亡くなった方の魂が安らかであることを
願うことを目的とした参拝にする
ということです。

現代は衛生管理がなされている時代ですから、むしろ大切な
人の霊魂が安らかであることを、心から慎むことが大切なことであると考えます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ほんたうのこと」とは
形骸化した意味の薄い形に囚われることなく、
その時代にあった常識に従いながら
心を正常に保つことであると考えます。

ABOUTこの記事をかいた人

郷右近丸彦プロフィール 郷右近 丸彦(ごううこん まるひこ) 株式会社スピリッツ・ザ・ウォーター代表取締役 天地彌榮塾(あめつちいやさかじゅく)塾長 NPO法人サスティナブル・コミュニティ研究所 理事・主任研究員 1959年生まれ 職業・プランナー、プロデューサー、企画コンサルタント。 東京国際大学卒業後、メーカー、マスコミ業界、テレビ事業会社を経て独立。 平成9年9月9日に銀河鉄道999を走らせる「銀河鉄道999フェスティバル」、鳥取県境港市のテーマパーク「ゲゲゲの妖怪楽園」、環境浄化せっけん「善玉バイオ洗剤《浄(JOE)》」など数々の社会現象として話題となるイベント、事業、商品開発などを企画プロデュースする。日本を明るく元気にする「感動プランナー」を育成し、事業プロデュースをする感動創造プロデューサーとして活躍。解決が難しい課題を、わかり安く親しみやすい切り口からアプローチ、話題づくりにつなげることが評判となり、一部上場会社の企画顧問、様々な企業コンサルティングを行う。 現在は「ほんたうの幸ひ」とは何か?をテーマに「天のルール」と「地のルール」を教える「天地彌榮塾(あめつちいやさかじゅく)」の塾長として活躍中。全国の神社を案内しながら、古神道にのっとった神社参拝方法や日本人の本質、大和魂とは何かを教えている。 その他役職 NPO法人サスティナブル・コミュニティ研究所 理事 主任研究員 趣味 書家。映画、舞台、能、絵画、メディアアートなどの芸術鑑賞 https://www.facebook.com/gogo.ukon