2018年10月15日。父が永眠いたしました。
父は長年私にとって大きな障壁であり憎んできた存在でしたが、父が静かに亡くなることを看取り、さらには自ら神道式の祭事で斎主となって見送ることで私自身大きな氣づきをいただきました。
以下はfacebookにて時系列に投稿したものに、多少加筆修正を加えたものを紹介します。
《父との最後》
仙台に向かっている。いよいよ父との最後になると思う。
伊勢神宮から帰った日に父の介護を担当してくださっている方から連絡をいただいた。急に容態が急変した、とのこと。
この連絡は伊勢神宮に参拝し終えたその日にいただいた。
やはり、伊勢神宮は想像を超えた力があると、私は思う。
「ほんたうの幸ひ」というテーマで執筆している最中にある意味、究極の課題を投げかけてくれたのだと、感じている。
父は私にとって最大最強のヒール(悪役)だった。
今まで、何度早く死んでくれ!と、呪いの意識を向けたかわからない。
その父がいよいよ旅立とうとしている。
今まで数えきれないほど病室で向きあってきた。
なぜ、俺はこんな男のために自分の時間を使い苦しめられなくてはならないのか?
その理不尽な体験を釜茹でされるような煮えたぎる怒りで焦れてきたのだ。
情け無さとどうしたらよいかわからない不安と焦りとあげくにとほうにくれた定まらぬ視点で、なんどもなんども宙をみた。
こんどこそ、父と会話はできるのだろうか?
あなたは、自分の最後において、いったい何を感じ、何を思っていますか?
自分の人生はこれでよかった?と思っているのですか?
母や弟や私に言うことはありますか?
謝りたいという氣持ちが、あるのであれば今でも遅くはない。
今まで一度もしたことがなかったことを、してみることはできますか?
もう、ボクは父さんを憎んではいませんよ。
でも、父さんのほんたうの氣持ちを教えて欲しいのです。
どうぞ、最後に聞かせてください。
父さんは生きてきて、自分の人生を振り返って、どう思っているのですか?
二人きりの部屋で祈ろう。
生きることの意味を、生きてきたことの意味を、教えてくださいと。
《安らかな旅立ち》
父が旅立ちました。
眠るように苦しむことなく、今世を終了することができたのは最後のご褒美でしょう。
ありがたいことに、個室でずっと二人でいれたので、手を取りながらゆっくりと、「大祓祝詞(おおばらいのりと)」を七回奏上しました。
一回唱えては、
人生どうでしたか?
やり残したことはありますか?
何かいいたいことはありますか?
謝りたいことはありますか?
許して欲しいことはありますか?
と、静かに尋ねました。
けれども話かけていることが、聴こえているのか、わかっているかは判らず、口から出る言葉は、
ごちそうさま。
あぁ、ごちそうさま。
ごちそうさまです。
だけを繰り返すのです。それ以外の言葉は、一切ありませんでした。
よっぽど食べることにだけ、固執していたのかな、とも思いましたが、父と別れ
家に帰った後に、ようやく氣がつきました。
おそらく父は、その言葉の中に
ありがとうごさいます。
あぁ、ありがとうごさいます。
ということの意味を、込めていたのではないだろうか?
もしくは、食べものという形で、
命をいただいたことに
ごめんなさい。
そしてありがとうごさいます。
という深い意味を、私に伝えようとしたのかもしれません。
そのことにもっと早く、氣がついてあげられれば、善かったのに。。
氣がついてから、父さん氣がつけずに、ごめんなさいと、涙しました。
父は人生の途中から、転落した人生をたどり、自分の兄弟からも、縁を切られた人。
息子の私からしたら、恥ずべき生き方をした人でした。
だから 、最後に見送るのは、長男の私と弟と弟の長男の三人しかいません。
でも、大祓祝詞を唱えた時、父の罪穢れとはいったい何だったのだ?と思いいたりました。
古い大祓祝詞には、天上界の神である天津神(あまつかみ)の罪と地上界の神である國津神(くにつかみ)の罪とが、具体的に上げられるのですが、父がしたことは、そのどれにも当てはまらないのです。
ということは、あれほど父を人でなしと、憎んできたのは、私や父を囲んでいた人がたちの過剰反応だったのだろうか?
一つ明らかだったのは、父は一度も謝ることを、しなかった人だということ。
様々な迷惑を周囲にかけたのに、自分は何も悪いことはしていないと一度も謝らなかった。
一言でいいから、心から自分の過ちを認めて、許してくださいと言って欲しかった。
でも、もう私は許しています。いや、許すも何も、あなたがあえて、ヒール(悪役)という役割を、背負って生きてくれたから、今の私になれたのだと、思います。
そしてそういうことを、体験できたからこそ、「ほんたうの幸ひ」を、誰よりも深く求めることが、できたのだと思います。
父さんのおかげで、ここまで来れました。
でも、最後に話した、ごちそうさまの意味に、すぐに氣が付かなかったのは「おまえもまだまだだ」と言ってくれたのですね。
ありがとうございました。安らかな魂でいてくださいね。
告別式、葬儀では、長男の私が自ら神葬祭の祭式を執り行い天にお帰りいただきます。感謝を込めて見送ります。
《神葬祭》
いよいよ本日、東北の宮城県にて父の葬儀を執り行います。
喪主であり、斎主であるという一人二役。しっかり式次第もつくり用意は万端。
父は郷右近家の長男で、私がその長男。今日、式に参列するのは、弟と弟の長男、私には男の子供がいないので、弟の長男がやがて、郷右近家を継ぐことになる。
郷右近家は、旧家で古い家柄である。家系図では鎌倉時代まで遡ることができる。
故にかなり業も深い、家柄なのである。
郷右近という名は、元は江右近という名。それが東北征伐の手柄を立てて、後醍醐天皇から郷の名前をいただいたと伝えられている。
世が世なら、殿様だったのだというが、どっこい見事に没落している家柄だ(笑)
それは己のカルマに、向き合うことなく増上慢になった慣れの果てだと、私は身をもって知った。
大切なのは謙虚であること。他者の痛みを解る、感性がある人間であることだ。
私は殿様ではなく、一市民として、隣人の悲しみや苦しみが、理解できて、自分ができること痛みに寄り添う人となりたい。
今日、この複雑な家の因縁、カルマを父の死を弔いながら、一氣に浄化させようと思う。
ほとんどの日本人が、仏式で葬儀を上げるが、実は神式の葬儀は仏式とは違う意味がある。近い記憶では昭和天皇が神式で厳かながら盛大に執り行われた。
今回の父の葬儀は、私にとってただの葬儀ではないのです。
ご愁傷さまではない。ご冥福を祈るでもない。実はかなり喜ばしい儀式となるのです。父を天界に送りあげ郷右近家のカルマを浄化し、守り神となっていただく重大な儀式なのです。
そのような事情なので、興奮して寝れませんでした(笑)

《最強の守り神誕生》
神葬祭の葬儀を始める前に葬儀場のご担当者さまと、参列者である弟と長男を前に
段取りを始めたとたん、雷の音が轟いた。
これはきっと父さんが何か言ってるんだろうなと弟と話あった。
祭式は大まかに二つの構成。
最初に大祓祭式を執り行い、父の罪穢れを浄化すると共に、参列者を含む郷右近家に
まつわる罪穢れ一切の悪因縁を断ち切る祭事を執り行った。
参列者は父亡き後、郷右近家の当主となった私、弟、そして次期当主の弟の長男。
大祓は一般に知られている陽の祝詞である中臣祝詞と陰の十種祝詞。この陰の祝詞を知らない神官は多い。また、中臣祝詞でも中で行う秘術を知らぬ神官もいる。
これらの特別な秘術が、絡みあった人間関係を解きほどき悪因縁を切り裂き、そして我が身に着いていた悪因縁、宿業らを全て断ち切り浄化するのだ。
陰陽の大祓祝詞を、唱えている時には、私の体温も上がりうっすらと汗をかいた。
時折雷鳴が轟いた。
続いて三種類の祝詞を唱えるが、各々三段階の祝詞は唱える対象の神々が全て異なる。最初に天照大神と豊受大神、そして父の産土神である駒形大神に、亡くなったことを報告する。これらの神々は私が毎日、奏上している自宅神棚から、お札としてお連れして安置いただいた。次にすでに人間の肉体としては、役目を終了した父の亡きがらから、霊魂を取り出し霊璽(れいじ)に移動していただく祭式である。
これは肉体にまだ止まっている父の霊魂に対して執り行われる。最後に霊璽に移った新米の神となった父神に対して、今後、郷右近家の守り神となってくださいますようにと丁寧にお願い申し上げた。
以上の祭式、約1時間半。わずか3人と司会を取り持っていただいた葬儀社の専務さまの計4人。で有るが参加者みな満足いくような 祭事となった。
会計も全て済ませ、祭事場を後に外に出ると、暗雲から光が差し、これまでの長きに渡った 父の苦悩。私や弟の苦悩。郷右近家の悪因縁等がこれでひとまず、ひと段落したのだというような清々しい感慨を受けた。

父の亡き顔は、納棺師さんに化粧を 施していただいたおかげもあり、とても穏やかで
きれいな顔だちだった。
棺桶には、祭式で取り行った罪穢れもろもろを、吸い取った秘術の品々と、私が今回父の為に書いた般若心経、そして玉串として使った榊らを一緒に収め、これから斎場で焼き払われることとなる。

やり切った。こんなに清々しい氣持ちは久しぶりである。
無性にビールを飲みたくなる。が、断酒をしたので 直会は炭酸水だ。
一般の多くの人は、知らないだろうが、神道では祟神の力が強ければ、強いほど
手厚く祭事を続ける限り、頼もしい守り神となってくださるという考えがある。
三大祟神の、「菅原道眞公」「平将門公」「崇徳天皇」
そして日本の神を代表する神と言ってもよいだろう「天照大神」「素戔嗚大神」もそうである。
だから、畏み畏みも恐れ敬い奉るのである。
今まで本人すらも、恐らく悩み苦しみ、周囲に厄災を放ち、親族すらからも、忌み嫌われた父は、こうして私たち郷右近家の末裔のための守り神と変身を遂げた。
日本の神道が語り継ぐ、
この世の世界の真の姿とは、
この世に、
善と悪はなく、正義と悪はない。
時には正義と呼ばれていた存在が、
敵から見れば殺戮者となり、
その殺戮者は勝てば官軍、
そのまま善政を行えば善き将軍、殿様となる。
しかし、殿様も増上慢に 落ち入れば
民を苦しめるチラノサウルスのような暴君となる。
善と悪は白と黒のオセロのように
何度も何度も反転を繰り返す。
オセロというゲームは日本人が創作したゲームでありこのように永遠に反転をするというルールのゲームは世界に他はない。これは日本が神道の国であるからこそ、生まれたゲームなのだ。
だからいつの時も、無用な反転をしないように、毎日罪穢れを祓い「祓いに始まり
祓いに終わる。」これが神道の極意なのである。
父と私の人生ゲーム。これにて第一幕は終了した。勝敗は引き分けか?そして、第二幕からは父が全て私を勝たせるために全力でサポート役についてくれることだろう。
父さん、天地彌榮の世の中にするために私は全力でゲームを戦い抜きます。
どうぞ影日向から見守って下さいね。
私が己の分をわきまえず、増上慢になったなら、どうぞ 雷を落とし氣づかせてくださいね。